昭和の庭から令和の庭へ

最近、これまでの常識が急に変わり始めている
どんどんと変わっていくものに、寂しさを感じることも。
時代の変化として、受け止めざるを得ないのかも
でも、新しいものばかりが、なにも良いものとは限らない
古いものの中にも、残しておきたいものもある。
これからの多様性を認め合っていく時代に
色々あって、ちょうどいい

こんな困ったはありませんか?

毎年手に負えなくなってきている雑草に…

庭木も草も、ぼうぼうでとんでもないことに…


時代の変化とともに、価値観の変化も現れている…

昭和から、平成そして令和へと時代は流れ、それまでの当たり前という価値観
いろんな場面で大きく変わろうとしている
特に、令和になってからの変化はコロナウイルスによるパンデミックやデジタル化が
急激に広まりつつある社会の中で、誰もが着いていくのが大変なくらいに

 


例えば、先祖代々のお墓に関しても、「もう墓なんていらない」と、墓じまいをする方や
お葬式も家族だけでそっとこじんまりと行うものへと
これまで誰もがそうするのが当たり前と思い続けてきたことが、ある日突然に

180方向転換でもしてしまったかのように変わってしまった



その多くは、何事も出来るだけシンプルに、かつ個人に対する負担がかからないものへと
変わってきているようにも感じる。
変わることへの戸惑いもあるものの、正直楽になったと感じることも多くなっているのが
これらの変化を進展させている原因でもある。

 

 

しかし、何もかも、新しいものへとそっくりと入れ替わってしまうことが、良いこととは言えない
街並みだって、これまでにある古くなっても残していく価値のあるものというものもあれば、
新しいものへと変えていかざるを得ないもの…と、それらの多くが混ざり合い形成された街並み
の方が、合理的でスマートな今風のものばかりで構成されたものより、面白味もある

私らが直面する、一般家庭のお庭の事情にしても、ずっと受け継がれてきたその庭を出来るだけ
形を変えることなく、手入れを続けていこうと頑張っておられる方がいらっしゃる反面、家族構成の
変化などを機に思い切って、家も庭も一からつくり変えてしまわれる場合だったり、親から引き継いだ家を
手を入れ、今の自分たちの暮らしにあった程度に変更を加えていこうとされる方


「ああするか、こうするしかない」といった二元論的なことではなく、何事もその中間的な領域の方が
多く存在するので、それぞれの状況やその後の暮らしにあったものがどんなものであるのかを
出来る限り知恵を絞って、提案していくことで、その家庭にある問題を解決していけるような存在に
なりたいという想いでやっております。

草は引くもの〜出来るだけ生えないようにしていく

庭の雑草に対しては、今多くの方が困っている問題であり、何とかならないかという

お問い合わせが多くなってい


これも以前なら、「庭の草引き位するのは当たり前ですよ。皆頑張ってやってますから
という話になり、自分も頑張らないといけないと言い聞かせ、腰が痛くなるほど頑張って
草引きしてたという方が多かったのではないでしょうか。


草引きが大変というのも、その状況によって違いがあり、もう全く草引きが出来ないという
方から、草引きは嫌いじゃないが、とにかくその場所が広すぎて大変というケース


雑草対策にも、色々なやり方があり、費用や見栄えの面もあり、状況に応じて
「こんな場合なら、こんなやり方や、また別にこういったやり方もよく行われてますよ
と、費用対効果に見合った様々なやり方で、庭の雑草事情と向き合っていくことが
疲労やストレスをため込まずにやっていく、よいやり方ではないでしょうか。

庭は観て楽しむもの〜そこに出て楽しく過ごすところへ

庭というものへの考え方というのも、変わってきていると感じさせられたのが、最近
お客様からの問い合わせで、親から引き継ぐことになった実家に暮らすことになり、
これまでに大切にされてこられたその庭も、自分たちの今の暮らしには、やや不必要
な部分もあると思い、それまでの鑑賞本位の庭を、友達などが集まってBBQなどし
過ごせる場所へと変えたいが、その庭を全部取り壊して、すっきりとやりかえてしまおう
とまでは思わないが、自分にとっても思い入れの深い箇所は何とか上手く残した状態で、

に変更を加えていきたいが、どんな風にすれば良いか提案してほしい。


そんなお話が、立て続けにあったりで、色々と考えて少しでも喜んでもらえるものに
なるよう知恵を絞ってやってます。
建設業では、よく一点製造業だと言われたりしますが、庭づくりでも全く同じようなもので
その場でしか存在しないオリジナルなものを創造していくというのは、中々に手間
かかる合理化できないものでありま